ぞんかつ

雑多ブログ。防災,雑記,エンタメetc

【指摘と指導】【プライドと自尊心】…似ているようで違う二つの言葉の意味5選

f:id:start20171212:20181108055420j:plain

 

怒ると叱るは違う

これは検索すれば解説しているサイトが山ほどありますが、よく言われるとおり「怒る」は自分のため、「叱る」は相手のためです。

また、「怒る」は感情的な行為、「叱る」は理性的な行為です。

 

「怒る」はただ自分の感情を発散させているだけで、「叱る」は相手を良い方向へ導く行為です。

導くとは道を示すこと。「こういうやり方があるよ」「正しいやり方はこうだよ」と教えるのですが、「何故こっちのやり方が正しいのか」「今までのやり方の何が間違っているのか」も説明することが重要です。

 

けれど叱る人というのは、頭は理性的でも口調は激昂している場合もあるため、一見「怒る」に見えることもあります。

 

一方「怒る人」は無駄に説教が長かったり、言葉の内容は「相手のため」を思っているようなことを語るのですが、はっきり言ってただのパフォーマンスです。

“部下・後輩を指導できるカッコいい俺”“父性があって威厳のある偉い俺”という風なナルシスト臭が漂っていて、このような人ほど形を演じているだけの嘘つきです。

 

 

母親が子どもに怒鳴っている場合はわかりやすいですね。

怒っているのです。叱っているのではありません。

子どもやペットがどうしても言うことを聞かないときは、理性ある大人でも感情的になりますから、子どもに言葉の理解力がつくまでは一概に怒ることが悪いとも言えません。

 

子どもの成長に合わせて「怒る」から「叱る」に切り替えていきましょう。

叱るためには傾聴も大事です。頭ごなしに親の教えを説き伏せるのではなく、理解を示しながら上手に導きましょう。この辺りはカウンセラーの要素も必要なテクニックですね。

 

指摘と指導は違う

f:id:start20171212:20190215182417j:plain

指摘と指導を混同している人たちは、昭和式マネジメントの企業に多いです。

 

人間には叩かれて伸びる人と、褒められて伸びる人の2タイプがあります。

前者が指摘された場合は「指導」と受け止めるでしょうが、後者が指摘された場合「けなされた」「人のことに干渉して余計なお節介だ」と感じます。

 

みんなの前で自分のミスを公開処刑のように晒された時など、後者にとっては「パワハラだ」と傷つくか、憤ります。人間には自尊心がありますから。

 

指摘するのが指導だと思っている人は悪気はないのですよね。

でも実際、指摘が行き過ぎるとパワハラに該当するのですよ。

 

  1. 職場のパワーハラスメントガイドライン

    2)精神的な攻撃

     脅迫・名誉棄損・侮辱・ひどい暴言

     

    出典:厚生労働省[職場のパワーハラスメントの6類型]

     

この場合、名誉棄損や侮辱に当たります。

 

さて、指摘を指導と受け止める人もいるのに、何故パワハラと非難されてしまうのか。

「怒ると叱るの違い」でも述べたとおり、指導とは理性的な行為だからです。

 

指摘は誰でも出来ますが、指導は誰でも出来るわけではありません。

指摘が誰でもできる時点で「指導」ではないことが明らか…といっても説得力がないのですけど、要は指摘はただの粗探しですからね。

人の重箱の隅をつつく行為のどこが理性的なのでしょう。

 

誰でも欠点があるのですよ。なのにわざわざ人を監視して完璧を求める。

何様ですか?とイラッとしますって。

 

本当に成長する人というのは他人ではなく自分自身に指摘するものです。

あなたは完璧なのですか?まったく失敗しないのですか?

そんな人間はいません。

 

指導がしたいなら、まずは人の粗探しではなく自分の粗探しと改善から始めてください。話はそれからです。 

スポンサードリンク

 

悪口と批判は違う

批判なのに「悪口」ととらえる日本人はけっこう多いです。

これも「悪口」は感情的な行為、「批判」は理性が由来の行為です。

 

悪口とは、ただただ相手を悪く言うこと。そこに自分の意見や客観性がありません。

「なんか気に食わない」「自分の思い通りにならない」と個人の主観による感情を吐き出しているに過ぎないため、聞かされている方は気分が悪くなります。

 

「批判」の場合、例えば「あの人は自分のことは棚に上げて人に厳しいのはおかしい」という具合に対象を「評価」しています。

客観的に観察した上で「こういう所が良くない」と論理的に指摘する行為は、理性のある人でないと出来ないものです。

だから聞いた方もある程度「納得」ができるのです。

 

そして批判ができる人は悪口と批判の違いを判別できますが、悪口しか言えない人は批判のことも悪口ととらえます。

自分の中にないものは識別できないのですね。

このような人は、批判なのに「悪口はよくない」といい子ちゃん発言をする傾向にあります。

 

確かに悪口はよくありません。でも批判はしてもいいのですよ。

正当性や説得力があるわけですから。

(ただし言われる人の気持ちも配慮した方がいいですね)

 

プライドと自尊心は違う

傲慢な人のことを「自尊心が高い」と表現した文章を見かけたのですが、そのような人物は「自己愛の強い人」「自己中な人」と表現する方が正しいです。

なおかつ「プライドが高い人」であって「自尊心が強い人」とは違う人種です。

 

自尊心を「自分を尊ぶ心」と書いているとおりに読み解こうとすると、少しわかりづらいですね。

もっと平易に噛み砕くと、自尊心とは「自分を大切にする気持ち」という意味になります。

 

プライドが高い人も自尊心が高い人も共通しているのは「怒り」と「自己愛」です。

ですが両者は怒るときの意味が違います。

 

プライドが高い人が怒るときこそ傲慢さの現れで、例えば自分の悪いところを批判されたときに反省することが少ないです。自分を絶対視して間違いを認めません。

そして反省する代わりに逆ギレするわけですが、このような人は傷つきやすい自分を守るためにプライドで武装しているのですね。

 

また、本人こそ上から目線なのに、他者からの上から目線にも怒ります。

これも自身の劣等感を誤魔化すためにプライドで己を高い位置に置いているため、それを崩そうとする人物に敵意を抱きます。

 

そのように、プライドが高い人の怒りは自己防衛の強さが原因であるため、他者を尊重するより自己中心性が勝ってしまいます。

 

一方、自尊心が高い人が怒るときは相手に失礼な態度・言動をとられた場面でのことと決まっています。

人に悪意のある失言をされたり、上から目線で接してこられたりした際に、相手に怒りを向けることが傲慢になると思いますか?むしろそのような態度をとる人の方が傲慢でしょう。

 

自尊心が高い人は自分を大切に思っているからNO!と主張するだけで、主張しなければどんどん他人から受ける酷い仕打ちがエスカレートしてしまいます。

だから自尊心はすべての人間が持つべきものであるのです。

 

「プライドが高い人」と「自尊心が高い人」は一見、似ています。怒りの原因も両者とも自己愛から為すところなのですが、決定的な違いがあります。

 

プライドが高い人=自分に自信がない

自尊心が高い人=自分に自信がある 

 

という違いです。そのため、自信がない人は悪い意味で自分中心。自信がある人は良い意味で自分中心です。

 

そして後者の方が正当性が強く、自尊心を発揮するときほど他者に対して善悪の基準を教える機会となります。

プライドが高い人はすべてが自分のためですが、自尊心が高い人は他者に良い影響を与えられる指導者なのです 

スポンサードリンク

 

自活と自立は違う

ここでの「自立」は人間としてのものです。経済的に自立して一人暮らしすることを「自立」と言う人に時おり遭遇しますが、正しくは「自活」です。

これも「自活」は職を得て収入が安定すれば誰でも出来る傾向にあり、「自立」は誰でも出来るものではありません。

 

本当の「自立」とは孤独に強いことです。精神的に他人に寄りかからず自力で立てるからこそ「自立」と書くのです。

 

しかし誤解している人もよくいるのですが、自立とは一切人に頼らないことではありません。

自力だけで解決できないことだってあるのです。その時は他力に頼ってもよいのですよ。

 

もともと自力で立てる人間同士が助け合うことを「協力」と言います。