ぞんかつ

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備蓄する前に被災者の体験談を知りたい!大地震発生直後~時系列レポ

地震大国ニッポン。またいつ来るかわからない大震災に備えたいところですが、具体的にどのような対策をとればよいのか、実際に被災した方の話を聞くのが一番ですね。

そこで、被災者のリポートを調査しました。今回は宮城県仙台市の大学準教授が記した

必ず来る!大震災を生き抜くための食事学 3.11東日本大震災あのとき、ほんとうに食べたかったものを参考にしています。

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地震発生直後~帰宅までの様子

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地震発生時の状況

本棚から本が床に崩れ落ち、ロッカーはガタガタと奇妙な“踊り”をしながら倒れた。

天井に備え付けられたエアコンは大きく横に揺らされ、接続してあった金属製の空調用冷却水の管が引きちぎられ、その管から大量の水が流れ落ちた。さながら「室内で雨が降っている」ような光景で、なす術がなかった。

 

長い揺れが治まり、実験室に入ると試薬棚や高価な実験機器が無残に床に転げ落ちていた。図書館では棚の本がそこら中に床に散乱していた。

幸い、建物内(大学)でけが人は出なかった。

 

電話は不通、メールは繋がった

誰もが携帯電話で家族の安否確認をしようとしていたが繋がらず。メールは送信後5~30分で返信が来る状態で、何度か送受信の往復ができた。

 

信号は消え、道路が波打っていた

職場から自宅への帰宅途中、国道の信号はところどころ消え、道は車がバウンドするほど波打ち、陥没や地割れ、液状化現象が起きていた。

建物の損壊、割れた窓ガラスの飛散など屋外の惨状を見て取れた。

 

自宅もめちゃくちゃ

帰宅すると、自宅マンションのベランダの壁に2メートル超の大きなバッテンのヒビが入っている光景が目に飛び込んできた。マンション周囲にも壊れた壁の破片が散乱していた。

家の中でもバッテンのヒビから出た白い粉が部屋の床一面に広がり、食器棚から落ちて割れた食器が散らばっていた。

 

電気・水道・ガスのライフラインは断たれていた。蛇口をひねるとおそらくマンション屋上の貯水槽に残っている最後の水が出てきたため、すぐさま浴槽に水を貯めた。しばらくすると蛇口をひねっても応答がなくなった。

 

震災当日の夜

自宅の食料を確認

冷凍庫に正月のもちが残っていた。頂きもののそうめんが箱ごと残っていたし、米はじゅうぶん、パスタもそこそこある。妻の「ためこみグセ」のおかげで非常時に助かった。

 

さらに趣味がアウトドアだったことでカセットコンロ、専用ボンベ、携帯用プロパン燃料も何本かあった。

「水さえあれば1ヵ月はいける」。そう確信した。

 

当日~3日後まで車中泊

震災当日はひっきりなしの強い余震が続き、ヒビの入ったマンションにいるのが不安だったため車中泊をした。駐車場はマンションからやや離れたところにあり、寝袋と懐中電灯とラジオを持って行った。

 

駐車場へ向かう途中、2階部分の壁が全部落ちた家、窓ガラスが全部割れて中が丸見えのオフィス、曲がった電柱、歪む道路が視界に入ってきた。停電で街中が暗闇に覆われていた。

 

しかし不安を感じたのは、地震のエネルギーの凄さよりもコンビニの前を通りかかったとき。停電で薄暗くなった店の中に仕事帰りのサラリーマンが押し寄せていた。

食べものを求めてドカドカと店に入り、ダメだとわかって外に出て行く人たちを見て「お腹を空かせた人はリスクになる」と感じた。

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地震発生から1週間、枯渇する街の食料

人生でダントツにおいしかったケーキ

震災3日後、物資を求める人が大勢、街中を放浪している。

震災2日後に情報を求めて妻と街を彷徨していたとき、いつもは素通りする洋菓子店の看板に「ケーキあります」と手書きの紙が貼られているのを見つけた。

中に入ると、停電した薄暗い店内で制服姿の若い女性2人が普段どおり働いていた。売られているケーキは、火を通さなくても作れるクリームのタイプで3種類あり、どれも330円で販売されていた。

ケーキを買って、夜中、懐中電灯の薄明かりの下で妻と食べた。これまでの人生で食べたケーキの中で、ダントツにおいしいケーキだった。

 

翌日、この洋菓子店は売れるものは売り尽くしたようだったが、それでも店員さんがきちんと制服を着て外側の窓を拭いている姿を見かけて驚いた。

 

近くで配給・炊き出しもあった

地震3日後の朝、住んでいたマンションの管理室横で、炊き出しの「イカゲソの煮物」と、配給品の「おにぎり」「いちご」「バナナ」を夫婦でそれぞれ1個ずついただいた。

おにぎりの袋に貼られていた製造者の住所には「大阪」と記されていた。

多くの人が並んでおり、食事を自分たちでなんとか作ることができる私たち夫婦は、それ以降は配給や炊き出しをいただくのは遠慮した。

 

寒い外での行列

地震発生から数日間、ほとんどの店が閉められている中、いくつかのスーパーやコンビニでは、露天で限られた食料品などを数量限定や時間制限で売っていた。停電していたので青空での手売りだった。

それらのスーパーでは、わずかな食料や生活用品を求めて200~300人の人が不安そうな表情をしながらも整然と行列を作っていた。

 

地震発生から2週間、復旧してくる

市民の求めるものが時間単位で変わっていく

震災から10日ほど経ってもスーパーや薬局などに多くの人が並んでいた。しかし、ライフラインが復旧しはじめると、震災直後の緊急時を脱し、飲食店もだいぶ営業を再開していた。

 

また、この頃には買い求めるものはすぐに食べられるものから、自分で調理して食べられるものへと変わりつつあった。

特に、街には野菜が極度の品薄だった。近所の小さな八百屋には、朝から数百人が列をなしていた。キャベツ1玉500円でも飛ぶように売れていた。

 

電気、水道がひとまず復旧

ライフラインの復旧には地域差があったが、私の住んでいるマンションは電気の復旧が地震の4日後、水道が8日後だった。都市ガスは、ガス出荷施設が全壊しており、1ヵ月以内の復旧は難しいと言われていた。

 

まだガスが使えない状態では電子レンジや電磁調理器を使って料理したくなるもの。仙台駅前の大型電気店に行ったところ、電子レンジもホットプレートも湯沸しポットも棚から消えていた。考えることはみな同じだった。

 

自販機で真っ先に売り切れていたのは… 

震災から10日後、仙台の人通りの多い場所にある飲みものの自販機は、すべての商品が「売切」の状態だった。

街が通電した後いろいろな場所の自販機の売れ筋をモニタリングしていたら、真っ先に売り切れになったのが「コーンポタージュ」だった。私もいちばん買いたかったものだが、どの自販機も完売で手に入らなかった。

次に売り切れたのが果物や野菜のジュース類、最後まで残っていたのが砂糖ゼロのコーヒーだった。

いかに人々がカロリーを欲していたかがわかる例ではないだろうか。

 

以上、東日本大震災・被災者による時系列のリポートでした。

救援体制が整うまでの期間(約3日~1週間)は自力で乗り切る必要があるようですね。パニックにならないようあらかじめ備蓄しておくと心強いでしょう。

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